授業力をみがく
偉人達を身近に感じる町並
岐阜大学教育学部 准教授 河崎 哲嗣
日本の独特の教育文化となった放課後や休日でのクラブ活動や学習塾のようなものも、海外の人にはとても興味深いものに映るようです。長期休み期間でよく行われている早朝の町内ラジオ体操の動画を見せたことがありますが、不思議そうな反応でした。
日本の伝統文化風習のシーンを海外の人に見せ、日本のことをもっと知ってもらおうとすればするほど、今まで気づかず見過ごしていた日常生活や課題を意識する振り返りが習慣となります。世界と異なる日本の独特な価値観に改めて気づくものです。
さて、ゲッチンゲンでの話に戻りましょう。ゲッチンゲン大学は歴史的な実績を有し、特に数学や科学に関しては19世紀の中頃から20世紀の前半にかけて、多くの有能な人材が集まりました。なんと30名以上のノーベル賞受賞者を輩出しています。この地で学んだ著名人といえば、数学者のガウス、ボヤイ・ヤーノシュ、ヒルベルト、ベルンハルト・リーマン、クライン、ディリクレ、クレプシュ、クーラント、ミンコウスキー、ネーター、コンピュータのフォン・ノイマン、ヘルマン・ワイル、論理学者ゲルハルト・カール・エーリヒ・ゲンツェン、物理学者のハイゼンベルク、ヴェーバー、オッペンハイマー、プランク、ヘルツ、オット・ハーン、化学者のヴェーラー、地理学者・博物学者のフンボルト、細菌学者のコッホ、哲学者のフッサール、ショーペンハウアー、詩人のハイネ、童話作家のグリム兄弟、幼児教育学者のフレーベル、政治学者のビスマルク……と錚々たる顔ぶれが並びます。
当時からこの町全体が大学キャンパスでもあり、数学者や科学者の住居も史跡のひとつとして大切に管理されていることには驚きます。埋葬されている墓も含めて、探し当てるのは至難の業です。歴史上、また教科書にも登場する彼らの功績を礎にして、私達の住む社会が成り立ってきていることを考えると、彼らを身近に感じられるのは感慨深いですね。
次の民家の写真の壁に埋め込まれているプレートをご覧下さい。日本の著名な数学者や科学者もこの地に留学しておりました。

二人の日本人の貸家住まい
お一人は岐阜県本巣市の数学者、もう一人の方は愛知県岡崎市の物理・金属工学者。東海地域出身の著名学者が、この地で勉学・研究に勤しんでいたのでしょう。明治維新後、日本の学校の算数・数学の教育内容の礎を築き上げた藤沢利喜太郎に、お二人とも東京大学で学んでいます。
さらにしばらく歩けば、世界的な数学者のヒルベルトやクラインらの自宅もあります。当時はきっと彼らの自宅を行き来していて、ドイツの甘いお菓子と紅茶を味わいながら数学談義をしていたのだろう、というような情景を思い描いてしまいます。
あのアインシュタインもヒルベルトやミンコウスキーの力添えで、一般相対性理論の数学的背景を与えられたとも言われていますね。

ヒルベルトの墓標

クラインの墓標
ゲッチンゲンにはこのように、数学史や科学史に現れる目移りしそうな史跡がいくつもあります。数学や理科の先生達がゲッチンゲンの街中を歩けば、思わず近代史のロマンを感じ、ファンのような心理に陥ってしまうでしょう。
日本の子ども達は、偉人達が編み出した理論や定理や公式は教科書の中から「わぁ〜、スゴいなぁ」と得るだけしかないのかもしれません。それに対してドイツの子ども達は、日常生活から偉人達の功績を肌で感じていますから、「次は彼ら以上の功績を築く私達の番だ」と高い意識を抱いているとも聞きます。学校で学ぶ子ども達にこそ、これら偉人達の息吹を感じる経験も必要な気がしてきますね。
ドイツやヨーロッパ各地を訪れた際の画像や入手資料も、今後紹介していきたいと思います。次回は、数学教室のゲッチンゲンコレクションなどを紹介することにしましょう。
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河崎哲嗣(かわさき てつし)
1964年生まれ
数学科教諭として、23年間京都府立高等学校・京都教育大学附属高等学校に勤務
2002年 京都教育大学大学院教育学研究科(修士課程)修了
2016年 大阪大学人間科学研究科博士後期課程修了
2016年 博士(人間科学)大阪大学
現 職 東海国立大学機構 岐阜大学教育学部准教授
専 攻 数学教育学,教育工学,国際遠隔協働学習,STEAM
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